「人格心理学 」レポート

パソコンのデータ整理をしていて、昔のレポートを発見!(2013年頃に書いたもの)

供養として載せときます。

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課題:スタンフォード監獄実験(1971年8月14日~20日アメリカのスタンフォード大学で行われた心理学実験。21人の被験者のうち、11人を看守役・10人を囚人役に分けそれぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。)について。

 

設問① ジンバルドーはなぜ実験を続行したのか。考えられることを3つ以上述べなさい。

 

1:どうなるか個人的に興味があったから。

 実験中止後の会見でジンバルドー本人が「自分自身が状況にのまれてしまい危険な状態であると認識できなかった」と言っていたように、追いつめられた人間がどうなるのか純粋に(?)興味があったのだと思う。蜘蛛の巣に蝶が引っかかっていたり、アリジゴクに虫がかかっている場面に遭遇することがある。そういった時に自分は網にかかった獲物を逃がしてあげることは考えずに(自然の摂理だから)どうなるのか興味本位で見入ってしまう。残酷だと指弾する人がいるかもしれないが、これは大なり小なり誰しもが当てはまることだと思う。例えば飲食店で隣の席に座った客が店員さんに水をこぼされたとする。さてあなたならどうするか?ハンカチを差し出すか?しないよね。自分には関係ないから、客と店員がどう対応するのか(客がブチ切れるのか・店側がクリーニング代を出すと言うのか)無関心を装いつつ興味深く観察してしまうはず。これとジンバルドーも同じ穴の狢だったのだろう。

 

2:外部からの指摘(苦情)がなかったから。

 実験6日目に牧師により中止になった説と、ジンバルドーの恋人が見学に来て実験を中止させたという説がある。どちらにせよ、囚人役だった10人は24時間拘束され、自分の置かれている状況について家族や友人などに一切話せない状況だった。囚人役の家族や友人・会社などから意見・指摘・苦情があれば「あれ?自分のやっていることは世間ではマズイことなのかも。」と気づく材料になったかもしれない。

 

3:この実験の何が問題なのか気づけなかったから。

 2004年にイラクで発覚したアブグレイブ刑務所でのアメリカ兵のイラク人への拷問・虐待のように、その渦中にいる時はこれが正当な行為であると思っていたのであろう。 戦争で敵国人を殺すことが正しいことになってしまったように。これは正当な実験であり何の問題もないと思っていて、看守役の暴力性が増しても「これは実験だから」と危険性を認識できなかった(認識しようとしなかった)。囚人役が学習性無力感に陥っていても実験を隠れ蓑として問題視できなかったから。

 

設問② どうしたら危険な状態の中での実験の続行を防ぐことができたか。考えられることを3つ以上述べなさい。

 

1:閉鎖的な環境を(物理的に)回避すること

 同世代の子どもと先生しかいない学校で起きるいじめ。知的障害者と職員しかいない施設で起きる暴行事件。このような問題は、外部の目が届きにくい閉鎖的な環境下で起きている。よく「開かれた学校」「開かれた施設」などと耳触りの良い言葉を耳にするが、現実には程遠い実状である。この実験は更に閉鎖的な環境である地下で行われたようだが、これが看守役の暴走に拍車をかけたのではないか。この実験は内容的に非常に面白く、多くの人の興味を惹いたと思う。大通りに面したガラス張りのショーウィンドー店舗でも借りて、市民にも見学可能なイベント(ある意味ではショー)のように仕上げることもできたと思う。

 

2:外部からの目線・意見を取り入れること

 ジンバルドーは実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらっていたようだが、それ以外の人の意見を広く聞くようなことはしていなかった。例えば、囚人役や看守役の家族・友人・学校・会社などからこの実験についての問い合わせを受け付ける窓口は用意していなかったし、誰の意見も聞き入れようとはしなかった。6日目に実験が中止になったのも、そのカウンセリングをしている牧師が中止を訴えた説とジンバルドーの恋人が見学に来て止めた説がある。いずれにせよ、実験は独断で6日目まで続行されてしまった。何事も最後に決断するのは自分だとしても、それまでに広く様々な意見を受け付ける体制を整えておかなければならないと思う。

 

3:被験者の匿名性を回避すること

 この実験の被験者になった21名は、募集に応募し選抜された互いに見知らぬ者同士だった。その中で囚人役は番号で呼ばれるなど、1人の人間としての存在が失われていた。例えば山本博一さんという1人の人間ではなく「囚人:7番」としての存在しかなかった。この場合、看守役・囚人役の両方の左胸に「名前・年齢・出身地・所属学校名(会社名)」が書かれたネームプレートをつけるなどすれば、1対1の対等な人間としてお互いに向き合うことができたのではないか。これにより只の囚人役としてではなく、監視役のなかにも○○大学の山本さんという認識が出てきて、危険な状況を防ぐことができたのではないか。ネットでも匿名性を利用して相手に対してより過激な言葉を発する傾向がみられる。面と向かっては絶対に言わない(言えない)ことをネットの匿名性を利用して発言してしまう。このような場合はコメント受付停止したり、承認制にする対策がある。

 

4:権力への盲従を回避すること

 アメリカ大統領は核ミサイルの発射ボタンを押す権利を持っている。しかし今までにそのボタンを押した大統領は1人もいない。押せる権利を所有するが、その権利を行使しない。事態に対する判断の視点をいくつか持ち、自分の頭で考え、権力に安易に流されない柔軟な判断力を身に付けることが重要である。看守役1人1人が自分の役割に許されている権力性を把握しつつ、その過剰な行使を避ける判断力を身に付け、その節々で「これでいいのか?」と再確認する場面が必要だったのではないか。例えばその日の実験が始まる前に毎回朝礼をして注意喚起を促す方法など。

 

5:組織や個人の捉え方を統一し共有すること

 集団性や組織の中に個人を埋没させるの(決められた役割に従わせ活動させるものとして捉えるの)ではなく、個人の特性を活かしつつそれらを連動させることで、個人では実現できない物事を達成するための仕組みとして捉えること。そしてその考えを参加者(囚人役・看守役ともに)共有することが必要だったのではないか。

 例えば1年2組には生徒が35人いるとした考え方ではなく、35人の生徒が集まって1年2組を構成(形成)しているとした考え方のように。この場合は実験ありきで集められたという考えではなく、自分たちが実験を作って行くのだという考え方。集団に従属する方法で主体化するのではなく、個人の働きが集団を作っていくような主体化を目指すことが必要だったのではないだろうか。良くも悪くも、組織や集団にはカラーがあり「それに染まりたくない!」と思っていてもそこに長くいると結局は、じわじわ染まってしまうのが人間というもの。組織・集団の中で自分の色を保つのは至難の業である。

 

 

【参考文献】

社会心理学ショート・ショート」 岡本浩一  新曜社  1992年刊