「この顔と生きるということ」 岩井建樹

「この顔と生きるということ」 岩井建樹

 

      

著者は、朝日新聞記者。

2010年に生まれた記者の息子が、顔面表情筋の不形成だったことから「見た目問題」に興味を持つ。見た目問題のあらゆる当事者に取材し、まとめた1冊。

表紙の下中央に映る男児が、息子さん。(著者名の左側)

視点・切口に斬新さを感じた。

「見た目問題」の当事者が発信するのではなく、その関係者による視点。

 

当事者は口々に「普通になりたい」「どうして自分は普通じゃないんだ」と言うけれど、普通って何?

みんな「普通」に縛られている。

それも他人軸の「普通」。

 

どんな立場の人でも、みんな同じことを言うんだね。

不妊症の女性は「どうして自分には子どもができないんだ。みんな結婚したら自然に妊娠して第2子・第3子と次々と子どもを産んでいる。それが普通。どうして自分は普通じゃないんだ。普通になりたい。」

看護師国家資格試験(例年合格率約90%前後)に不合格だった人も「何故自分は落ちたのか。ガリ勉しなくても普通に勉強したら、みんな合格している。どうして自分は普通(90%側)じゃないんだ。」

不登校・引きこもりの人は「クラスメイト・同級生は、小学校・中学校・高校と毎日普通に通っている。自分は何故普通じゃないんだ。」

フルタイムで働くママも「職場の人は、フルタイムでも仕事・家事・育児もそつなくこなして、第2子・第3子と産んでる。普通にやってる。自分は子ども1人でも手一杯。髪もボサボサだし、身だしなみにも気を使えない。全てがテキパキできない。1つ1つのことを考えてからじゃないと行動できない。何故、他の人が普通にできることが自分はできないんだ。普通になりたい。」

どんな人でも、口を揃えて同じことを言うのに驚愕。

皆が口々に言う「普通」=中央値・平均値ということ。

例えば、日本人成人女性の平均身長は158.1cm。

それから大きく外れると服や靴の選択肢が限られて、生活しづらい。

 

この本とは無関係だけど、ある子が「ギムキョーは(義務教育期間:小学・中学)普通でいることが最高の価値観」と言っていたことを思い出す。良くも悪くも平均値・中央値=普通からはみ出すと目立って叩かれるみたい。

昭和の悪口→チビ・のっぽ・デブ・ガリガリ・ハゲ・ブス・バカなど。平均値・中央値から外れると何かと批判の対象となり、生きづらい。

 

単純性血管腫の男性(三橋さん)は顔に赤いアザがある。

【「すれ違いざま、『おまえみたいな顔のやつは自殺するでしょ、普通』と言われました。思春期に、こんなことを言われたら精神的につぶれてしまいますよね。自分を保つために、心の中で悪口を言った相手に対し、『うるせぇ、殺してやる』と反発していました。一方で、『確かに、こういう症状がある人は自殺するかもしれないな。それが正しいかもしれないな』と思う自分もいました。(P44~45)】

このアンビバレンス(両価性)の葛藤・矛盾が、男性のまっすぐな成長・思考・生き方を現しているなと感じた。

フレーミングできる健康的な成長の証。(リフレーミングとは、物事や出来事・状況などの枠組み(フレーム)を変えることで、別の視点を持つこと。有名な例:コップに入った半分の水を「あと半分しかない」と取るか「あと半分もある」と捉えるか。)

発言者のように、ひとつの視点でしか物事を見れない・判断できない人(場合)は問題を起こしやすいなと感じる。(例:ミスしても「自分は絶対に間違っていない」と言い張る人・レジ店員が誰にでも笑顔で対応しているだけなのに「俺に色目を使ってきた」「自分に気がある」など主張し、待ち伏せする人も一定数いるし。)

 

アルビノの男性が言う【(前略)だって、どんなことでもアルビノのせいにしたら、自分にできることは何もなくなって、人生詰んじゃうじゃないですか。それでは、自分が成長できない。(後略)。(P145)】が答えでは?

 

外見に特徴がある人のなかでも「どうしたの?」と訊いてくれたら説明したいと考えの人もいるし、一切聞かないで(触れないで)スルーして欲しい人もいる。人によって正解が異なるから、接する側はどう対応していいか分からない。

 

でも現代は、義手・義足・車椅子で生活している人などがSNSYouTubeで日常生活や朝の身支度・メイクなど発信・紹介している人も増えてきている。それを見て「へぇ~」「そういうことが大変なんだ~」とか興味や関心を持つ人も増えてきている。こうして裾野を広げていくことも可能性の1つなのかなと思う。

山田千紘さんの存在を知った時は、年金未納で障害者になるというのは、恐ろしいなぁと震えが走った。山田さんを年金納付のポスターに使ったら納税効果あるのでは?